【解説053】1900年またぎでヘルバルト派から子ども中心の流れへ。児童中心主義のエレン・ケイ、実験学校を作ったデューイ

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19世紀はヘルバルト派らの段階教授に見られるように、大人の立場から教育を考える風潮が強かった時代であった。しかし、19世紀の終わり頃からそうした教育を見直し、より子どもの立場あるいは社会の立場に立った教育思想が登場することになる。

エレン・ケイ(1849-1926) スウェーデン

今までの権威中心の教育を反省し、20世紀を児童のための世紀にすることを提唱した。よく児童中心主義とかいわれるものである。この児童中心主義は、子どもが本来持っているものを大事にしたという点で、前々回記事で扱った自然教育のルソー、前回記事で扱った直観教授のペスタロッチなどの流れを引き継いでいるとみることもできるだろう。また、エレン・ケイに代表される、これまでの学校教育の枠組みからの脱却を目指して展開された運動を新教育運動という。1900年前後は新教育が盛んだった時代というわけだ。

エレン・ケイのキーワード
『児童の世紀』

児童中心主義

「教育の最大の秘訣は、教育しないことにある」



デューイ(1859-1952) アメリカ

シカゴ大学付属小学校(実験学校)をつくり、「進歩主義教育」と呼ばれる斬新な教育を実践したことで有名。その実践の結果として、著書『学校と社会』の中で、カリキュラムと子どもは「経験」という営みで結ばれるという主張をした。また、学習理論として「問題解決学習」の提唱者としても有名である。

デューイの思想は子どもの活動を大事にしたという点で、エレン・ケイらの進めた「新教育」の流れの中にあると言って良いだろう(ただし、デューイ自身は自分の思想を「新教育」の中に位置付けようとはしていなかったそうだが)。

デューイのキーワード
実験学校

進歩主義教育

『学校と社会』

『民主主義と教育』

問題解決学習

では演習。



(演習)

次の文の( )に適する人物名を、次の選択肢の中からそれぞれ選べ。

【選択肢】 エレン・ケイ、モンテッソーリ、デューイ、スペンサー

(1) (     )は、子供は本来自己の経験を連続的に再構成する能力を備えており、教育とは児童・生徒が自らの「経験を連続的に改造していく過程」(成長過程)であるととらえ、「実験学校」を開設した。

(2) (     )は、婦人と子供の生活に深い関心を寄せ、教育論、結婚論、婦人運動論を展開し、20世紀が子供のための世紀にならなければならないと宣言し、世界の新教育運動に思想的指針を与えた。

(3) (     )、1907年に「子どもの家」の指導者に就任した。「子どもの家」の入学者は3歳から7歳の子供であり、この時期の子供は感覚を形成して発達させると捉え、「敏感期」として重視した。

(解)

(1) デューイ (2)エレン・ケイ (3) モンテッソーリ

(3) のモンテッソーリ(1870-1952,イタリア)は、知的障害児の教育に従事し、その成果を健常児にも適用してローマの「子どもの家」の指導を行った。幼児教育の分野でモンテッソーリ教具は有名。ネット上にモンテッソーリ教具の画像がたくさん見つかるのでチェックしておこう。

今回はここまで。

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