【易しめ解説05】江戸時代の学校。昌平坂学問所-林羅山、堀川塾-伊藤仁斎、蘐園塾-荻生徂徠、鳴滝塾-シーボルト

YouTubeでも情報更新しています!

日本教育史は自治体によって扱いに差が出る分野です。そこで、最低限の範囲を決めるのが難しいのですが、一応、

・江戸時代の学校

・明治時代の学校制度

のあたりは必須かと思われます。

今回は江戸時代の学校ということで4校紹介します。

覚えるべき江戸時代の4学校

1.昌平坂学問所-林羅山

昌平黌(しょうへいこう)ともいいます。創設者は林羅山。儒学は朱子学・陽明学・古学に分かれるのですが、昌平坂学問所は朱子学を教える学校でした。寛政の改革で朱子学が正当な学問とされてから、幕府直属の武家の学校として最高の地位を占めていました。現在の東京大学の前身です。

2.堀川塾-伊藤仁斎

堀川塾は古義堂ともいいます。京都にあった、古学の学校です。ちなみに古学というのは原典に立ち返ることを重視する学派です。

3.蘐園塾(けんえんじゅく)ー荻生徂徠(おぎゅうそらい)

江戸にあった、古学の学校です。

4.鳴滝塾(なるたきじゅく)-シーボルト

洋学、とくにオランダの学問を教える学校です。場所は長崎。

以上4つの学校をまとめておきます。機械的に学校名と設立者を覚えておくだけでもよいでしょう。

江戸時代の4学校

(公的)
・昌平坂学問所-林羅山
(私塾)
・堀川塾-伊藤仁斎
・蘐園塾-荻生徂徠
・鳴滝塾-シーボルト



では問題を1問だけやりましょう。

演習

(演習1)

次の文の( ア )〜( ウ )に入る語句の組み合わせとして正しいものを次の①〜⑤の中から一つ選びなさい(2005年実施37)。
寛永七年(1630)、儒官であった( ア )は、三代将軍徳川家光より上野忍岡に屋敷を賜り、ここに家塾(弘文館)を創設した。
元禄三年(1690)、五代将軍徳川綱吉によって、神田台湯島に移されたこの家塾が、後の( イ )であり、幕府の教学の中心となっていった。
規模・内容ともにこの時代を代表する教育機関であったこの学問所は、( ウ )のモデルとなった。また、江戸後期には、( ウ )の教官を要請する機能も果たした。

①ア 林羅山    イ 昌平坂学問所 ウ 藩学

①ア 林羅山    イ 鳴滝塾            ウ 勧学院

①ア 伊藤仁斎 イ 堀川塾            ウ 藩学

①ア 荻生徂徠 イ 昌平坂学問所 ウ 勧学院

①ア 荻生徂徠 イ 蘐園塾            ウ 藩学

(解)

→①

藩学=藩校とは地方の学校のことです。参勤交代制度で武士が中央(=昌平坂学問所がある)と地方にいったりきたりする時代ですから、地方でも学校が必要だったのです。藩校については弘道館(水戸藩)、明倫館(長州藩)、閑谷学校(岡山藩)などが有名です。

今回はここまでです。

【PR 2024年実施教採向け】
シリーズ累計2500名以上の先輩たちが利用したわかりやすい動画講義です。教職教養の基礎を効率的に学習しよう!↓