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【神奈川解説06】近代の日本教育制度。学制(1872)→教育令(1879)→改正教育令(1880)→諸学校令(1886)

 

明治時代に急ピッチで学校制度が整えられていきます。次の事項を歴史的な流れとともにおさえましょう。

学制(1872)→教育令(1879)→改正教育令(1880)→諸学校令(1886)

 

学制(1872年、明治4年)

明治政府は1872年(明治4年)、フランスの教育制度をもとに「学制」を発表しました。学区という概念が取り入れられ、全国を8大学区、各大学区を32中学区、各中学区を210の小学区に区分して大学、中学、小学がそれぞれ対応する区に一つずつ設置されました。全国どこにいる子どもに対しても、教育の機会を制度的に保証したのです。

 

教育令(1879年、明治12年)

学制は急に始まったということもあり、反発もおきてしまいます。貴重な働き手であった子どもを学校に通わせなければならないことや、学校設立用費用の負担などから、民衆の不満を招いてしまったのです、そこで、学制に変わる形で、「教育令」が1879年に制定されました。アメリカ人のマレーによって立案されたもので、アメリカの自由主義的・地方分権的な考えを基本としていました。なんと、就学期間も1年間に4ヶ月ほどでOKというゆるさに設定していたんです。しかし、そのゆるさが就学率の低下につながり、早々と次の改正教育令が登場することになるのです。

 

改正教育令(1880年明治13年)

教育令がゆるすぎて、まさかの1年での制度変更。国の権限を強化したため、干渉教育令とも言われることもあります。

 

諸学校令(1886年明治19年)

神奈川県の教採では単に「学校令」という名称で登場することもあります。制定の中心となったのは初代の文部大臣、森有礼です。

 

以上、明治時代の教育制度についてまとめました。

明治時代の教育制度

①学制(1872)…フランス参考

②教育令(1879)…アメリカ参考

③改正教育令(1880)

④諸学校令(1886)  …「学校令」という表記で出題されることも

 

②でゆるーくなった以降はだんだん国家の統制が強くなる、という流れでおさえましょう。また、「教育令」や「学校令」は名称が似ていますから、試験会場でどっちだっけ?とならないように注意が必要です。

 

(演習)

3問いきまーす。

 

(演習1)

次の文は、日本の近代の教育の歴史について述べたものである。文中の[ ア ]〜[ エ ]に当てはまる語句を選択肢から選べ。(2011年実施36)
 我が国の近代的な学校教育制度は、1872年の[ ア ]の成立によって始まる。富国強兵を国家目標とした政府は、四民平等の精神に基づき、西洋の教育思想や教科等を取り入れて制定された。
 1879年には、文部大輔田中不二麻呂(不二麿)と学監ダビット・マレーによりアメリカ合衆国自由主義的教育観を取り入れた[ イ ]が制定された。
 1880年に文部省は[ ウ ]を制定した。ここでは、被仰出書以来の方針が教学聖旨によって転換されたのを受けて、修身を主要科目とした国家主義の理念が示された。
 1889年2月11日の大日本帝国憲法発布によって国策の基本ができ、翌1890年10月30日に、教育の基本方針を示す[ エ ]を発布した。第二次世界大戦後の1948年に国会で排除失効確認が決議されるまで日本の教育の根底を形成するものであった。
【選択肢】教育令、学校令、改正教育令、学制、教育ニ関スル勅語

 

(解)

[ア]学制。1872年という年号も覚えておきましょう。

[イ]教育令。自由なやつですね。

[ウ]改正教育令。教育令の制定のわずか1年後に慌てて作ったやつです。

[エ]教育に関する勅語。これは解説していませんが、1890年という年号とともに覚えておきたい。

 

似たような出題ですが、2問目!

(演習2)

次の文は、日本の近代の教育の歴史について述べたものである。[ ア ]〜[ エ ]にあてはまる語句を選択肢から選べ。(2009年実施36)

 日本における近代教育は、1872(明治5)年の[ ア ]に始まる。四民平等の思想を基盤として身分・家柄・性などによる差別なく、すべての人民が就学すべきものと説いている。このような[ ア ]の教育観は、欧米の近代思想に基づく近代教育の理念に支えられたものであったが、一方では教育は富国強兵・殖産興業を目指した国家目的の中に位置づけられ、それを実現するための基盤として近代学校制度が構想されたのであった。
 1879(明治12)年には[ イ ]が廃止され文部大輔田中不二麻呂と学監ダビット・マレーにより[ イ ]が公布された。[ イ ]は小学校の設置や就学に関する条件を緩和し、また、地域住民により選挙された学務委員による学校管理を規定するなど、教育の権限を大幅に地方に委譲し、地方の自由裁量を基調とした。
 [ イ ]は規制緩和策を打ち出したが、実際には学校離れを引き起こし、1年余りで改められ1880(明治13)年に[ ウ ]が公布された。[ ウ ]は、就学率を向上させ道徳教育を重視するという文教政策の下で推進されたものであり、学校設置・就学義務に関する規定を強化し、また、民選だった学務委員を府知事・県令による任命制とするなど、国による統制を強めた。
 1885年(明治18)年に初代文部大臣となった森有礼は、日本独自の国体を基本として国家の富強をはかることを目標とし、来るべき立憲体制に即応した国家思想の涵養を国民教育の中核と位置づけ、いわゆる[ エ ]を制定した。
【選択肢】学制、学校令、教育令、改正教育令、教育ニ関スル勅語

(解)

[ア]学制

[イ]教育令

[ウ]改正教育令

[エ]学校令

 

最後です。

 

(演習3)

次の文は、明治維新後の教育政策について述べたものである。誤っているものを、次の①〜⑤の中から一つ選びなさい。(2007年実施37)
1886年に諸学校令(「帝国大学令」「中学校令」「小学校令」「師範学校令」)が制定された。
②1890年に「教育勅語」と「小学校令の改正」が発布された。
③フランスの地方分権的教育行政制度を参考にして、1879年に「教育令」が発布された。
④1872年に発布された「学制」により、国民すべてが入学できるという小学校の増設を計画した。
1880年に12月に「教育令」が全面改正され、従前、小学校の教科の末尾におかれていた「修身」が教科の筆頭におかれた。

 

(解)

③→フランスではなくアメリカですね。

 

今回は以上です。お疲れ様でした。